五月の雨はレンヌの野にとめどなく降る

五月の雨はレンヌの野にとめどなく降る

見た番組の感想が多くなるはず。

「ん?」て思たら調べとこ(6)

と言う事で、Wikipediaさんの

en.wikipedia.org

についての(6)。

自分が興味の無い事には冷淡で、「それ知ってる!」って時は脱線だらけ。

今回はインディ500の勝利に関する記録の内、【最小差の勝利】~【最大差の勝利】まで。

Narrowest Margin of Victory: 最小差の勝利

Al Unser, Jr. over Canada Scott Goodyear, 1992年

Official margin: 0.043 second

Unofficial margin: 0.033 second [1]

注釈が付いてるので、リンク先 ↓ 

www.nytimes.com

リンク表示デカっ!…兎も角。

公式と非公式で0.01秒差が出てるのは、計時用機器の取付け位置が異なる所為だと。

1位のアンサーJr.は車の先端に装着。

2位のグッドイヤーはサイドポッド。

サイドポッドの最先端でもドライバーのお尻位なので、目測で1.5mはノーズよりも後になる。

で、計時用機器を両車同じ位置へ取付けて居れば、0.033秒差になる筈だ!と言うか、恐らくTV局は、ノーズの先端で計測したんじゃないのかな?と。

一周が4,023mとして40秒で回ると単純に100.575m/秒←カーブ無視。

100分の1秒に進む距離は1.006m?

言われてみたら、確かにそんなもんかな?っと(ノーズの最先端に取付けるわけでも無いし)。

 

Widest Margin of Victory: 最大差の勝利

Preceding 1966 (first year of top five finishing entry being flagged off before completing

500 miles):

Succeeding 1966 (year inclusive):

1966年以前はトップ5台が通り過ぎる迄、チェッカーが振られなかった?

それ以降は、トップに対してチェッカーが振られた?

1966年以前?

13 minutes, 8 seconds,Jules Goux over Spencer Wishart, 1913年

1967年以降?

て事で、13分と言われても分からない。

1913年の予選ポールタイム01'45″で、最後尾は01′58″。

適当に01′50″で計算して7周差くらいかな?と←『適当に』って?

2 laps +0:00.021, Rick Mears over Roberto Guerrero, 1984

2 laps, A. J. Foyt over United States Al Unser, 1967年

(race red flagged,second place reverted to last completed lap)

2 laps, Emerson Fittipaldi over Al Unser, Jr., 1989年

(second place car did not finish 199th lap, third place 6 laps behind leader)

現実的なのは2周差ぐらいか。

備考的なのが2つ有る。

1967年のA.J.フォイトさん優勝時、レッド+チェッカーで2位以下はチェッカーを受けていないって事かな?

この時のエピソードに、フォイトさんは観客の顔の向きが自分ではなく、ターン4付近を向いていた…恐らく、側頭部なので頭髪ばかりが見えた…ので、何事か有った事を察知し減速。

多重クラッシュ現場へ安全に侵入し、無事にチェッカーを受けた…らしい。

こう言う話を拾いたくて、今回、記録だけじゃなく注釈とかも目を通してる。

よいエピソードが拾えた!と自画自賛したい。

似た様な話は、モナコGPスターリング・モスさんか、そう言う時代のドライバーの伝記(?)で読んだ気がする。

で、その1967年は、僕でも知ってる名前のF1ドライバーが出場してはる。

グラハム・ヒルジム・クラークジャッキー・スチュワート,リッチー・ギンサー,デニス・ハルム,ヨッヘン・リント,ペドロ・ロドリゲス,ロニー・バックナム…くらいか、名前を聞いた事有るのは。

ロドリゲスは、この年からF1レギュラーだそうで少し違うかな?

バックナムも、この年はF1走っていないから除外すべき?

だけど、他のドライバーは『レギュラーF1ドライバー』(❝パイロット❞とは言わないよ?)。

決勝は5/30で、6/4にF1オランダGP…お疲れ様です。

F1に組み込まれていたのは1960年迄らしいので、選手権ポイントとは無関係。

他の競技に出るなよ!と言う風になるのは、エクレストン時代以降?

インディ500の賞金が魅力的だったのかな?…あ、夫々、伝統の有るレースだからか。

インディ500が1911年。

ル・マン24時間が1923年。

モナコGPが1929年からの開催で、当時は公道使用のレースも多かっただろうけど、特異なレースとして特別感有りなのは判る。

「いつから言われたのか?」は載ってない?

 

もう一つの1989年。

フィッティパルディが抜き際、アンサーと接触してるのかな?

でアンサーは壁の餌食で199周目リタイア。

次の周にフィッティパルディがチェッカー受けたが、3位は6周遅れでリタイアのアンサーを上回れずアンサーが2位。なるほど。

ラストラップのフィッティパルディへ、アンサーがした格好が物議を醸したってのは、この時だったのか(何か蹴り入れる様な格好だったっけ?)。

あ、フィッティパルディ・オレンジジュース事件は、この年じゃなくて1993年の話だそう。

 

と言う感じで、インディ500の勝利に纏わる話は終了。

オーバルは確かに運に左右され易いけど、こうして優勝者の名前を見てると、優勝した人って、運をも引き寄せる力の持ち主だよな!と思う。

インディ500勝利の女神って割と、気紛れじゃないかも知れない?と思いながら、(7)へ続く。