五月の雨はレンヌの野にとめどなく降る

五月の雨はレンヌの野にとめどなく降る

見た番組の感想が多くなるはず。

1968 激動の時代

NHK

www.nhk.jp

2018年の再放送で、50年の節目だった。

当初は、【2月に見た分】の中に入れてたけど、長文化してしまったので分割。

だからと言って、細かく感想を書いたんじゃなくて、「コレは後々、『あの事を言われてたの誰だっけ?』と思い出す為に残しとこ!」と言う事で、発言の拾い書き。

なるべく聞き漏らしてない心算だけど、句読点の位置は勝手になので、文章のニュアンスを正確には、伝えられるモンではないよ!と。

「録画したの残しとけば?」なんだけど、書き残しならブログ内検索で出て来るので…と、言い訳はココまで。

 

黒人差別の話は、『カラーでよみがえるアメリカ』にも出て来てたが、今回も冒頭から全開。

『永遠に人種差別を』と掲げた少女。

顔にボカシ、モザイク無し。

今なら60歳くらいになってるはずだし、探し出して本人に「今も、そう思ってる?」と訊いて欲しい(コレは『カラーで見る〜』の時も思った)。

 

第三世界ね。

なんか聞いた事が有る(中学社会科の授業?)。

東西冷戦とは別の、自分達の立場と言うか、アイディンティティみたいなのを確立したかった?

それが、なんとなくだけど、解る気もする…国家、民族レベルだと、話が大き過ぎて想像もつかないけど。

もっと個人レベルの、派閥みたいなのなら。

 

反戦運動の事。

元「フリースピーチ」メンバーの環境活動家:ジャック・ワインバーグさん

「これはベトナム反戦運動なんかじゃありません。アメリカ反対運動ですよ。アメリカを引き摺り下ろす運動でした。左翼はベトナム人の事なんて、気にしていませんでした」

「今も、左翼はマルクス主義に則って、『世界は搾取する側と、される側の2つに分かれる』と考えています」

「つまり、世界の仕組み、社会の構造自体が、破壊的に間違っているんです」

元「新左翼」メンバーの作家:デイビッド・ホロウィッツ

「60年代終わりの頃は、自分達がやっている事は集団狂気だと思う様になっていました。ベトナム戦争はいつまでも続いていて、反戦デモは全く効果が無かった」

「いつの間にか、デモをする事自体が目的にすり変わっていました」

アメリカ中から『デモに参加したい』と言う人が集まって来ましたが、彼らには闘う理由等どうでも良かったんです」

大声上げてるんだけど、対象の心配をしてるのか?…単に「反対!」「辞めろ!」言いたいだけか?と、最近頻繁に思ったのに似てるな。

星野源さんが、『安倍首相の動画で歌の無断使用を咎めなかった』ら、「星野源は前から嫌いだった」発言。

横田滋さんが亡くなり、息子さんが「安倍晋三さんが尽力して下さった〜」と発言すると、「拉致問題の興味が失せた」と発言。

って人達と親戚だろう。

 

今も新宿駅で、反戦のプラカードを掲げる人が、「世間が冷たくなった〜」とか言われてるけど、左翼の自爆行為の結果、僕の目にもそう写る。

「今思うと、民衆の中に、人々の中に、その、戦う若者達を見詰める、優しさが…あの…満ちてた時代…でもあります」

と言いはる。

『民衆』と言う言い方が、何か既に別々の存在として、突き放した言い方だと思う。

変わったと言うか、学生運動が尖って行き、プロの左翼となって、自分達から『民衆』と乖離して行ったんだと思うよ?

その後に、シールズ創設者が出て来たけど、60〜70年代の左翼への印象は同じだった。

この創設者さんと僕って、基本、考え方は相容れないはずなのに、昔の左翼の行動への印象は同じじゃん!と。

日本赤軍も出て来た。

反戦運動=左翼=日本赤軍のイメージを、短絡的で作られたイメージだと言うのかな?

 

DOORSのドラマー:ジョン・デンズモアさん。

「アレ(THE END)は元々ラブ・ソングです。『友よコレで終わりだ』と言う題名の、短いラブ・ソングだったんです」

「歌詞は、クラブで歌った際に、アドリブで歌ったものを採り入れました。あの作品は、ほぼ思い付きなんです。ベトナム反戦ソングではありません」

「でも、爆撃される村の映像に『THE END』が流れるのを見て、うー!ドキッとしましたよ。なんて上手い解釈なんだと思いました」

 

鍼灸師/ウーマンリブ運動家:田中美津さん

「ノーブラって言うの、アメリカの、あのウーマンリブの主張の中で大事な事だったんですよ。『ノーブラも女の解放』。」

「でね、その人ねオッパイがこの辺(腰掛けた状態で臍辺り)で揺れてたんですよ。

でね、私ね、そう言うの見てね、もうリブの最初からよ。

『あんなに無理しなくて良いんじゃないか!?って言う、主義主張に殉じるって言うのはどうも、私は好きじゃないって言う、あの〜、この辺で(臍の辺)揺れてたらね、コレね、駆けたらスゴく大変だと思うんですよ。あの、急ぐ時にね、この辺で揺れてたら。こう言う人は私はね、別にブラジャーしても、それと女性解放と関係ないって言う風に…あの、思ったんですね」

「だからね、アメリカのね、何か、こうもう、『女性解放ってたらノーブラ!』みたいな感じ。そう言うのがね、なんか、ちょっと、あのー、私が目指してるモノとは、ちょっと微妙に食い違うって言うか、余計なお世話って言うか。

あの大学の、横暴に対して、あの自分達の権利を主張して、学生達が、あの、学内で、あの寝泊まりして、闘ったわけですけど、そう言う生活を共に送る中でね、男達がさ、ホントに、あの、『闘ってる女はさ、女として感じられない。だから、うーん、結婚するならやっぱり運動してない女とやりたいな』とかって言う事を平気で言ったり、するわけですよ」

 

ノーブラとウーマンリブ…なるほど。

このお話が一番面白かった。

『主義主張に殉ずる』ての、ブラシャー封印は日本人じゃなさそうだけど、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い的なの、多いよな。