五月の雨はレンヌの野にとめどなく降る

五月の雨はレンヌの野にとめどなく降る

見た番組の感想が多くなるはず。

持ち味を殺す

一発長打が有るけど三振が多いので、「三振を減らせは最強じゃね?」として、当てに行く方向へ指導。

結果はスイングが小さくなり、魅力だった長打が減った。

素人考えだけど、選球眼の確立と(主審の判定傾向も含む)、カウント毎の配球の読み。

追い込まれてからミート寄りの意識とかが、採るべき対策かな?と思う。

コレは結局、欠点を克服しようとしてその選手の持ち味…この場合は長打力を、損なってしまう指導あるあるかな?

打者に限らず、投手も「制球力を付けようとして、置きに行き持ち味が〜」てのが有るはず。

コレが漫画にも当て嵌らんか?と。

 

ここんとこ、Twitterやらニコニコ漫画等のクリエイター枠から人気が出て、公式に連載されたり、出版に繋がったりする作品が増えてると思う。

そんな中で、連載、出版の形を取る以上は、作品の設定?コンセプト?が変わる作品も、増えてる気が…じゃなく可視化されてると思う(以前なら、読者側の目に入る時点で既に、編集部から何らかの指導が入ってた)。

それが良い方向なら良い。

でも、その『良い方向』って何に対しての『良い方向』なのか?

 

商売として出す以上は、売れる必要が有るので、やはり売上第一での『良い方向』だよな?

で、それが悪いんじゃなくて、仕方ないと言うか、当たり前だと解る心算。

でも、それが作品の持ち味を殺す場合は?

 

世の中には、連載開始当初と方向転換して、大ヒットした作品が有る…らしい。読んで無いので詳しくは知らないけど、「連載が始まった当初は武道大会とか有ったっけ?」みたいな。

そんな成功例が有るから、外からの主導による方向転換も責められない…どころか、昔から当たり前の事。

ただ、今は編集からの方向転換前に、読者は作品の方向を見てしまってるから、「あれれ?」が増える。

 

最近、コミックス買ってたけど、「こうなるのかよ!…無理」「もう続き買うの止め!今まで買ったのは棄てる」てのが増えて来た。

単純に僕の加齢で、作品に着いて行けなくなったのも多いと思うけど、やはり『方向転換の可視化』が見え隠れしてる…様な気がする。