五月の雨はレンヌの野にとめどなく降る

五月の雨はレンヌの野にとめどなく降る

見た番組の感想が多くなるはず。

旅のあとがき 鹿児島編 ♯2(5/2分)

何度も書くけど、『知覧特攻平和会館をガッツリ見る』のが今回の目的と言う事で、開館時間の09:00になるべく合わせると、鹿児島中央駅を08:07だったかな?兎に角そのバスに乗らないといけない。
なワケで、ホテルの朝食は07:00~で、『朝飯の後、必ずトイレ(大)に行きたい俺』にとっては、結構ギリギリな時間になる…と言う訳で、前もって『朝御飯は06:30に部屋にもって来てくれる』と、旅行会社から交渉してくれてた。
まぁ、メニューは『お握りをメインに簡単なもの』と制限がついてたけど…この『簡単なもの』がまた美味しくて、基本朝は米が苦手な自分も、普段は考えられない位に美味しく頂き感謝。
 
その朝からかなり食って快便もして、駅前からバスに乗り込む…んだが、これまた早目に動きたい2名(母と自分)は、当然バス停には早目に到着。
その乗ろうとしてるバスのP.Pを獲得し、後はバスを待つだけ。
 
何だかんだでバスに乗って、鹿児島市内からどんどん離れて行くんだけど…どーも景色見てても「あー。鹿児島だなぁ!」ての、街中では感じられないと言うか、TUTAYAとかABCマートとかそう言うの、どの街でも見かける分…まぁ、今じゃ当たり前何だろうけど、どの街も同じ様に見えてしまうのが、何だかつまんなかった。
なワケで、路面電車ってのが、如何にその街の特色になってるか?みたいな事を考えたりもしてた。
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知覧到着。
先ずは帰りのバスの時刻を確認しとく
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 こうやって携帯で撮っとくの、函館のラピスチヌ修道院へ行った時、一緒にバスで到着してた人がやってんの見てパクった。
以降、バス停では必ずやってるが…よく見ると赤いのが反射して写ってるな←赤い服着てた。
 
で平和会館。
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 建物へのメインストリート(?)とか人影も疎らで、「コレは早く来た甲斐があった!」と思ったが、建物の中は結構居てた。
ま、その殆どが学生さんの課外授業なのか、ココへ来て語り部から話を聞いた後、館内の見学→コレが結構煩いんだけど、その語り部さんの話を隅っこでタダ聞き→思わず涙ぐむ…と言う事で、結構有り難かったかも知れない。
 
ただ悲しいかな、館内は撮影禁止で…現地投稿した様に、嵐山美術館に居た『疾風』とは実に30年振りくらいの再会だったけど、写真撮れなかったのが残念でならない。
でも、嵐山の頃はベタベタ触れたし、今からでも飛べそうな状態だったのが、フラップ関係は全て金具で固定されてて、何だか飛べそうも無い状態だったし、写真に残せてもあまり嬉しくなかったかも知れない?
 
これまた現地投稿した『音声ガイドレンタル』の話。
¥100/台と言う値段に加え、昼食時の一旦返却もキープしてくれてて、昼からもそのまま使わせてくれたりで、便利だわ親切だわで、もしも行く人が居れば絶対に借りるべきマシーンだった。
 
 
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確かに広島・長崎の原爆だとか、沖縄の地上戦、本土の空襲等、戦争にまつわる悲劇は数多く有るけど、特攻についてももっと語られる、語り継がれるべき話だと思う。
ま、確かに、ガチガチの軍人も居て、残された最期の手紙とかにそう言う内容も多いけど、基本は無理強いに近い特攻なワケで、当時の若者を死に追い込んでおきながら、戦後も生き延びてた軍人とか恥ずかしくないのか?って事で、展示にも有った大西瀧治郎中将とか、展示は無かったよな?の宇垣纏中将が死を選んだ事…宇垣中将に付いては、「若者を巻き込んだ」と言う部分も有るけど、自分的にはどうだろう?自分がその立場になるとは思えないけど、出来れば死を選びたい(なので、『出撃前の宇垣中将の笑顔』の写真には、共感は無理でも、想像はつく気がする)。
 
兎に角、来た甲斐が有った。
参道(?)みたいな道の両側には桜並木が有って、春には満開の桜が見られるんだろう。
その散り行く桜を見ながら、もう一度ココを訪れたいと思った。
 
 
と言う感じで、話的にはキリが良いと思うので鹿児島編♯3へつづく。